ゆきわ会で演奏されている品川拍子や祭礼囃子の動画ダウンロードページです。下の「画像」をクリックすると動画がダウンロードできます。

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「荏原神社(洌崎町会)神輿海中渡御」(サイズ/20.0MB/00:05:06sec) [再アップ]

※40年ほど前の荏原神社例大祭の神輿海中渡御の映像です。残念ながら音声はありません。海中渡御を行っている神輿は現在と同じ洌崎町会の中神輿で屋根には寄木神社の「裏菊」の紋、宮入を行っている神輿は修理前の洌崎町会の大神輿で屋根には現在と違う荏原神社の「木瓜」の紋が付き、昭和初期にはこの神輿で海中渡御を行っていた為、金具は錆び付き真っ黒な神輿で通称「黒光り」と呼ばれていました。当時は現在ほど神輿ブームではなかった為、担ぎ手のほとんどが氏子なので、担ぎ手の数が少なくたまに潰れたりもしました。現在では「チョイチョイ」担ぎが流行っていますが、この頃には当然ありませんでした。これぞ「品川のカッパ祭り」と感じる当時の映像をお楽しみください。
録画:昭和47年6月5日 製作:品川区教育委員会 場所:荏原神社→城南島→寄木神社→荏原神社 演奏:洌崎町会(音声なし)




「東睦会大神輿新調」(サイズ/9.84MB/00:03:42sec)

※昭和63年に東睦会の神輿を新調した時の「引取り〜お披露目渡御」までの映像です。この神輿は栃木県に無形文化財の技師に指定されている神輿師・小川政次作(宝珠堂)で、当日は宝珠堂まで神輿を引き取りにいきました。宝珠堂前でお囃子を演奏しているのはゆきわ会で、囃子方が乗っている山車はこの時に一緒に修理に出した東睦会の山車です。
 この時の神輿は現在の神輿と違う箇所があり、親綱と台棒です。親綱は「麻」で出来ていて当初は染めていないものを使用していましたが、かなりの力で毎年締め付けるのでぼろぼろになってしまい6年前の年番の年に「柿渋」で染めた「麻」の綱に新調しました。一方、台棒ですが新調時には断面が真四角の江戸前風のつくりになっていましたが、神輿師の小川氏が初年度の祭礼の様子を見て「この担ぎ方ではもたない」ということで、現在の「船形」と呼ばれる神輿の台輪部分にあたる中央部に厚みをもたせて前後が細くなっている棒に作り変えました。また、この時に担ぎ手が担ぎやすく、品川拍子の叩き手及びトンビが演奏しやすいように台棒を長くし、担ぎ(横)棒の間隔を広く取りました。

録画:昭和63年4月吉日 場所:栃木・宝珠堂前→荏原神社→品川銀座通り(ゼームス坂)




「明睦会大神輿・修繕お披露目」(サイズ/8.17MB/00:04:00sec)

※明睦会の大神輿は大正15年、浅草の「清水 金次郎」氏により「子供神輿」として製作されました。平成18年に、浅草の「南部屋」にて大修理を終え、荏原神社例大祭前に引き取りを行いました。午前中に荏原神社でお祓いを受け、午後より町内「品川銀座通り」を渡御し、お披露目を行いました。
録画:平成18年5月14日 場所:荏原神社→品川銀座通り(明睦会館前)




「明睦会大神輿渡御」(サイズ/5.50MB/00:02:40sec)

※20年ほど前の明睦会大神輿宮入渡御の映像です。当時、国道西側には大人神輿が明睦会の1基だけだったので、近隣の5町会の人たちもこの神輿の渡御に参加していました。この頃はまだ毎年明睦会の神輿が氏子13町会のトップをきっての宮入渡御だったので、早朝6時に出御していました。また、この年に荏原神社の鎮守橋が現在の橋に架け替えられて、橋の幅も広くなり神輿が楽に渡る事が出来る様になりました。
録画:昭和61年6月7日 場所:品川銀座通り(明睦会館前)→桜河岸(荏原神社前目黒川沿い)




「東海道四百年祭・品川神輿連合渡御」(サイズ/7.93MB/00:03:53sec)

※平成13年・東海道四百年祭・品川神輿連合渡御の映像です。東海道400年祭のイベントのひとつとして品川区内の7基の江戸前神輿と8基の城南神輿が、旧東海道を八ツ山から鈴ヶ森まで連合で渡御を行いました。今回の映像はパレード後半の城南神輿8基のみです。大拍子付きの神輿と地域ごとに違う品川拍子の様子をご覧ください。
<神輿の順番>鈴ヶ森町会(天祖諏訪神社)→北濱川仲町会(天祖諏訪神社)→鮫洲北町会(鮫洲八幡神社)→櫻心会町会(荏原神社)→東品川一・三町会(荏原神社)→御殿山町会(品川神社)→北品川三丁目親和会(品川神社)→北品川一丁目町会(品川神社)

録画:平成13年2月11日 場所:旧東海道(南品川1丁目・毎日新聞販売店前)



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